『ハピの巫女姫』『ガイアナ神謡集』を読んで下さった皆様のレビューです

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ハピの巫女姫は今まで読んだ小説のなかでも特異な小説でした。大抵のファンタジー小説は人外の存在が出てくると仕方ないとはいえ神族や魔族は人間を見下し、人間サイドがそんな親世代な種族を恨んで世界から追い払うか、盲目的に従うか裏で舌を出している。最後は人間だけが正義の味方みたいで人間が地球を支配してハッピーみたいな小説やゲームが多く、(しかも神族も魔族もまったく歩みよろうともしないから当然だけど。)そういうものをみるたびにふしぎと傷ついてきました。 でも、ハピやガイアナでは人外の存在も人間もそれぞれの葛藤を抱きながら何とか歩みよろうとしているのをみて温かい気持ちになりました。

それに何より私が印象に残っているのが、世の邪悪も世界の一面として冷静に受け止めるセイレンの態度でした。世の中から悪はなくらない、戦を好む心や利己心は完全に消えなくても出来ることを精一杯する。高い理想を見つめながら醜い現実もありのままに受け入れる姿に本当の知性、英知というのは冷たく硬いものではなく、涼しくしなやかなものなのかもしれないと思いました。 好きなセリフは「でも、マルス様 人間は自分の立場からしか物をみれないのです」 突き放すような言葉ですが、じんわりと心にしみました。

人的にセイレンと恋情という意味ベストカップルだと感じたのはナスタト王とセイレンです。やってることはDVそのもので女性として許し難いのですが、なぜか憎めないのです。(ガイアナのイスマはそんなに手を挙げないのに妙に失望したのですが…ムウの女神パワーのせいでしょうか(笑)) マルス様はセイレンの夫というより守護霊とか魂の伴侶という感じで官能というより神聖な関係という感じでしたし、リーヴとセイレンは夫婦のようにも見えましたが、性差を超えた尊敬と友愛という感じでお似合いなのにカップルとか恋人な感じがしない。 マルス様とセイレンも夫婦雛そのものにお似合いなのになぜか恋人とか夫婦という言葉が似合わない。 何故かほとんどギスギスしていた暴君ナスタト王がセイレンの恋人役のように見えていました(笑)

恐らくマルス様やリーヴは天上の愛や地球の愛でナスタトとの関係は血なまぐさく、ストレート過ぎて人間セイレンの恋人になりえたのかもしれないな…と読み終えて漠然と考えていました。ナスタトが何故か憎めないのは女性を敵視していたのは父王と周囲の臣下たちの偏った教育のために「女性は祖国ツルクを滅ぼしかねない存在」と認識していたからではないかと思います。 彼は「女は家に籠もってろ。黙ってろ」または「男の仕事(俺たちの仕事)に口を挟むな」とはいっても特に女に苛ついているわけではないように見えました。

暴力は許せませんが…なのでナスタト王を私は憎めません。彼はまとも育ち、転生すればネクトゥル様とはるくらいのワイルドドン・ファンになってネクトゥル様の人間の飲み友だちになれたでしょうにと妄想しています(笑) ガイアナにはナスタト王は転生していたのでしょうか(T_T)タキは? レイは? オチは?…過去世を思い出してくれた方々しかわからないです 転生したらみんな幸福になってほしいです。

 

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以前どなたかのレビューとそしてAmariさんが仰られていたように、私も常々、フィクションやファンタジーの世界にこそ真実が隠れていると思っていて、きっとAmariさんの描くお話にはそれがあるだろうというのを、直感的にビビビと感じていまして(笑)、Amariさんの著作をいつか読んでみたいとずっと思っていました。

実際に購入しハピが手元に届き、少しドキドキしながら美しい装丁の表紙を捲るとすぐにその世界に引き込まれていきました。ハピの世界から、とろけるようなエナジーが自身にチャージされていくように感じて、夢中で読みすすめました。 主人公のセイレンをはじめ登場人物たちがとても魅力的に描かれており、ハピの美しい景色や人々の表情や香りまでもが、あたかも自分がそこにいるかのように思え、そして行ったこともないハピの世界に何故か懐かしさのようなものも感じていました。私にはハピの世界の制度や人の在り方のほうが、現代社会のギスギスした感じよりもナチュラルに思えてなりません。

聖娼、聖婚などを現代の父権社会の感覚で解釈してしまうと理解にズレがあるのかもしれないけど、ハピに描かれた母系社会のシステムが生きた世界の穏やかさ美しさにはハッとさせられます。 また、作中には魅力的な登場人物が沢山登場しますが、その中でもアリストやカヤト、マルスやタキ辺りがお気に入りです。けれども特に印象的だった人物は、やはりナスタトですね。後でAmariさんにナスタトあんまり人気無いと聞いてビックリ(笑)、あんなに可愛いのに…?!(…と敢えて言っておきます、笑)

このハピを読み始めたころ、Amariさんの読書会Bに参加させて頂くことになったのですが、男女のセクシュアリティについて考える機会がとても増えました。性犯罪などで傷つく女性がいる一方、現代社会ではある意味男性も被害者なのだと感じています。幼少期に十分に男性も母親の愛情を受けられなかったりして、満たされなった想いや悲しみなどのエネルギーをぶつける場所は結局女性なんだな、と。 そんな意味でナスタトとセイレンの邂逅には、また自分の過去世や3次元での今までの恋愛etcと重なって号泣してしまいました。

セイレンの生き様や様々な登場人物の想いや言葉に、私の魂のどこが清められ救われたような心持がしました。 また純粋にマルスやリーヴとの恋愛模様もとてもロマンティックで夢中になります。マルスは天使みたい〜と思っていたけど、マルスの正体を聞いてとっても納得。

後半は神々と人と宇宙と自然と愛と聖なる性と、織りなす壮大な叙事詩に、自分もハピの住人のようなつもりになってこぼれる涙と胸の高鳴りを止めることができませんでした。もしかして、私たちが住んでいるこの世界や日本という国は本当にこうして生まれたんじゃないだろうかと思ってしまいます。どこかでそれを信じている自分がおります。 自身の女神性に目覚めたい人や、うっとりするほどの愛のエナジーに浸りたい方にもおすすめのストーリー。ぜひいろんな方に読んでもらいたいものです^^

それにしてもこんな良書を生み出しているAmariさんの多才さには、ただただ感激させられますっ。素晴らしい世界との邂逅をさせて下さったAmariさんに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます!

 

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初めてハピが届いて封を開けた時、その存在から重厚な「世界」のようなものを感じた気がしました。 本、というより書物という言葉の方が個人的にはしっくりきますし、良い意味での気軽な気持ちでは読みたくない「濃さ」のようなものを感じていました。

鮮やかで生々しく、繊細で美しい表現や情景描写、細やかな心理の動き、細緻な舞台設定など、それらがハピの世界をとてもとてもリアルなものにしていました。読みはじめるとドカッとその世界がやってくる感じで(笑) また、セイレンを主軸としていても、それぞれに個性が際立った登場人物が多く登場するので、読む人によって誰に感情移入できるか、自分を重ねるか、も違うのだろうなぁ、と。個人的にはオハラさんやタキも好きです(笑)

活字はその後の自分の血肉になる、と思いますが、そういう意味ではハピはその「世界」ごと自分の中に根付いた感じがします。読み終わって日が浅いせいもあるかも知れませんが、日常生活のふとした瞬間にハピの情景や登場人物の心理が重なったり思いだされたりします。 というより本当にハピの世界観自体がリアルで…。読む人それぞれ何かを「思い出せる」ような本だと思っています。遠い過去や記憶が刺激されるような、この本を密かに「読むイニシエーション」だと思ってます(笑)

そして最後のクライマックス!! 感動的ですし、予測を裏切られました。頭の中で音楽が聴こえてくるような展開とワクワク、「早く早く、次のページへッ!!」と(笑)文学少年みたいに入り込んでいました。 最後の章ではまた違った、独立したような新たな世界観を感じましたが、その「時を越えた」感がとても平和で素敵でしたし、明確に「未来」や「希望」を感じました。読み終わった後のこの現実、今に生きる現代人への感慨も引き出されます。本当にラストシーンのハピの世界と、日本に今生きる自分たちとが交差するような気がします。

元々ファンタジーやSF系統の作品というのは(表現媒体を問わず)何処かに存在する「事実」や「記憶」を、そのままとは言わずも現していると思っていますので、そういう意味でもハピは全て自分の中でとてもリアルに感じられました。ニューエイジャーであられるAmariさん執筆なら尚更、「こういうのが読みたかった!!」という(笑) 、ガイアナもとても楽しみです。 最後に、自分が男性だから言えますが、ハピは男性でも充分楽しめる作品です。オトコたちの忠義心的なシーンもありますし(笑)、礼節ある誠実さと共に、両方がバランスされるような気がしました。 これからの自分の糧となるような作品でした。ありがとうございます!

 

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「ハピの巫女姫」から読みましたが、ハピとは雰囲気が全く違うのではじめは戸惑いましたが、登場人物たちの伸びやかな心性と優美な文体にすぐにガイアナの住人となってしまいました(笑) 。

個人的に最も心打たれたのは男神ネクトゥル様とアガシア姫のペアです。主従であり、夫婦であり、世界を各々の立場から愛するお二人はまさに理想の伴侶だと感じました。ネクトゥル様とアガシア姫は傷ついた事があっても苦難さえ明るく楽しみながら受け止めているようでした。故に未来のためとはいえ、愛する者たちから離れる瞬間でさえ、誰も非難せずに気高いものでした。 いつかアガシア姫とネクトゥル様が輪廻の果てで永久の契りを迎えて頂きたいです。

ネクトゥル様のモデルは日本の男神でいうところの大物主様か諏訪の男神ミシャグジ様でしょうか? 雄々しさと底知れない威厳と残忍さがなんとなく古代の男神 のようなので(笑)

そして宿命のライバル、レオダイとイスマ(笑)。あの二人は最後まで(レオダイは友情を感じていましたが)水と油のように交わらず、しかし双方ともに死力を尽くして競いあったのは見事でした。葡萄酒と宿命のライバルというとある漫画を思い出すます。神の雫です。あの話もワインを通して人生とは何か 世界とは何か 愛とは何かを探し求める内容だと感じています。

レオダイの魂は愛に満ちているので素晴らしいものを躊躇いなく受け取れますが、イスマの魂は高貴なはずなのに愛を得られず傷ついて飢えたまま…周りを傷つけてしまう男なのに惹かれずにいられない女たち(実はわたしも)。イスマの闇をカリスマと考える男たち。似たような男が歴史上にも文学の世界でもよく登場します。人は闇に惹かれずにはいられないのかもしれません。破滅すると知っていても… トリシア姫の慈愛でもイスマの心の傷は癒しきれなかったのが悲しいです。

 

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スピリチュアルな情報に対しては自分でなかなか実感が持ちづらく、半信半疑になりやすいのですが、一方で私には揺るぎなく「これだ!」と感じられるもの、真実だと感じられるものがありました。それが文学や芸術の世界です。(映画やマンガなどのエンターテイメントも含みます) それらに心を深く動かされる時、そこには真理のようなものが潜んでいて、スピリチュアルな世界で説かれているものが説得力を持ってしっかりと息づいているように私には感じられました。

人にはなかなか言えませんでしたが、神話性が脈打つような荒唐無稽なファンタジーほど、何か真理と呼べるような確かな力がその中心で渦巻いているように感じていました。それに触れた時に感じる、心が奥底から撹拌されるような、遠い記憶が呼び覚まされるような感覚は、自分にとってはこの世の他の何よりも真実味を持って感じられたのです。 「どんな方なんだろう」と安麻里さまに興味を抱き、ブログを拝読していたところ、私はミュージカルが好きなのですが、

『人間て普段、本当に感じていること、心から思っていることを口に出したり行動できたりしているかと言ったら、決してそうではない。社会的なルールと、空気やら立場やら、その他色々な面倒くさいしがらみの中で自己表現でしている。でもミュージカルはというと、思ったこと、感じたことが、そのまま歌やダンスとなって、迸り出てくる。だから人間の真実を形に変えたものがミュージカルである』 …という記述が、まさに私がミュージカルに対して感じていたことと同じで、さらに『神話やファンタジーの中に真理がある』、ともおっしゃっていて、とても驚いて感動しました。

さらに驚きは続き、安麻里さまご自身も小説をお書きになっていらっしゃること。そして、「世界樹ブックス」に書いてあった「発刊によせて」の、「女性をめぐる性とジェンダー、それに寄り添う男性性、神とは何か、歴史、宗教、生と死、戦争、地球と宇宙、文明の攻防」   …これらは私がずっと探求したいと思っていたテーマでした。 「もう、これは読むしかない!」そう感じて「ハピの巫女姫」を注文させて頂いたのです。

ネットでほとんど買い物をせず、中身のわからない本はまず買わない私にとっては、これはちょっとした冒険でした(笑)。ですが、「これはもう読まないとウソだろう!」という確信がありました。偶然の発見にしては、あまりにも出来すぎていて。

子どもの頃から洋の東西を問わず神話の世界が大好きで、成長するとそれらの神話が持つ類似性に気付き、 「神話は人類の集合意識の宝庫なんだ!」とワクワクしていました。専門的な研究などは出来ていませんが、分かりやすいところから本を読んで自分なりに解釈を深めていきました。 普通に生活する上で神話なんて全然必要のないものなのに、私にとっては子どもの頃からどうしようもなく大切で、惹きつけられる存在でした。中でも近年、巫女や女神のモチーフに強く惹かれ、それらのイメージが自分自身が女性であるということを受け入れることの大きな助けになってくれたことから、さらに大切な存在になりました。

そして、ドキドキしながら開いた「ハピの巫女姫」ですが、本当に心を動かされたものほど言葉にすることが難しくて、もう、なんと書いていいのか分からないのですが… 出会うべくして出会った物語、心の組成をごっそりと変えてしまうような、…てらいなく言えば、私がずっと求めていた物語だと感じました。本当に本当に素晴らしかったです。こんな物語を読んでみたかった!具体的な細かい感想を書くと、きりがなくなってしまうので割愛させて頂きますが、まず一巻の「叙事詩」の部分を読んだ時に鳥肌がブワッとたちました。「これだ…!!」というような、確信に似た感覚です。

言葉や表現、情景描写が巧みで美しく、とてつもなく面白い小説であるばかりか、自分の中の奥深い何かが呼び覚まされるような、自分の中の何かと化学反応を起こすかのような、もの凄い感覚がありました。 その感覚があまりに強烈過ぎて、そうそう読み返すことができないくらいです(現実に戻ってこられなくなるので…)。 10代の頃のようにわが身を忘れて物語の中に没入するという経験は―それも「ファンタジー」と呼ばれる類のものに対しては、なかなか難しくなっていたのですが、「ハピ」にはどっぷりと奥深くまで潜り込んでしまいました。

そして、それは私にとって本当に幸せで心地よい体験でした。 登場人物みんながくっきりとした輪郭を持って生きていました。そして、世界が生きて、呼吸していて、確かにここにある―そう感じられたのです。それはもう美しく、色鮮やかに。人びとが織りなす人間模様の面白さや魅力だけではなく、神や宇宙といったものへの深い洞察が、物語を通じて血管の中に注入されるようにして自分の中に入ってくる様で、まるで頭の中にもの凄い勢いで宇宙が広がっていくような感覚でした。 瑣末なことに心を煩わせたり悩み苦しんだり、日々その繰り返しばかりしていますが、「ハピの巫女姫」を読み、セイレンの心象にふれるとき、またウツの悠久にふれるとき、もっと大きな視点で、もっと広い視野と深い洞察を持って生きていきたい…そんな風に思えたのです。

私は物語の中でセイレンと共に生き、ハピの滅亡を見届け、新世界の息吹を感じることができました。 それは、完全に別世界で異なる人生を生きたかのような体験でした。 素晴らしかったのはそれが一過性のもの―ひとときの幻想ではなく、現実の自分に生きる力を与えてくれること、その経験が自分を豊かにしてくれたということです。そんな風に感じられる物語を書くことが、私の夢でした。でした、というか、今もなんですけど(笑)。

そして、「ハピの巫女姫」とセイレンとの出会いは、長い間受け入れることができずに苦しんでいた自身の女性性を癒してくれたように思うのです。 このように、不思議な巡り合わせで出会った「ハピの巫女姫」は、私に大きなものをもたらしてくれました。エネルギーワークなどに関しては私はまったくの素人なのですが、「ハピ」の物語に内在するエネルギーの美しさ、深みのある豊かさはしっかりと感じることができました。 最後になりましたが、「ハピの巫女姫」を執筆して下さり、ありがとうございました。 本当に素晴らしい出会いでした。

 

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「ハピ」を読んでいると、日々の生活が臨場感を持って描かれていて、まるでその時代に生きているような錯覚に陥ります。手触りや音、匂い、色・・・描写が細部にわたっているせいでしょうか。時々、セイレンになりきっていました。 セイレンになりきるのはいいのですが、母系社会は当然のことながら、自分には、夫が複数いて、夫にも妻が複数いる・・・。現代日本に生きる自分が、この制度を受け入れられるのか?というのが、第一関門でした。

ここで仮に現代の社会制度をとりはらって、正直な気持ちを考えてみると、「妻に夫が複数いることはやぶさかではない。一方夫に妻が複数いるのは、複雑な心境である・・・。」というところです。 セイレンも初めの頃、嫉妬という感情は持ったみたいで、少し安心しました。 とは言っても、私は今、一夫一婦制の核家族で生活しています。そんな私でも自分を「家族ってこういうもの」というパターンに当てはめてみても、合わなかったり無理だったりして、「周りからどう思われようと構わない!」と決断することはありました。今、家族関係は少しずつ変わってきているのだと思います。

天皇家では、今男児が生まれなくて困っていますね。長い日本の歴史の中で女帝を認めなくなったのは明治以降でしょうから、実は初めての試みでもあるのでお妃様が悩む訳ですね。日本のお妃様は、自分で決断する訳にいきませんから。少なくとも「ハピ」の文化では、セイレンは子どもが生まれなくても後継者問題では悩まなかったし、周囲から責められるようなことは全くありませんでした。

そして、第二関門。聖婚、聖娼制度というものを、制度として受け入れることができるか。これについても、読書中は物語の展開に夢中になり、電車の中、あるいは家で睡眠不足になりながら、すっかり「ハピ国民」になりきっていたので、「ハピ」という国ではこんな制度でもって、人々が幸せに暮らしていたのだな〜、このように女性が巫女として社会を治めると、男性が力で圧す政治とは違うのだな〜と、ごく自然に受け止めていました。 聖婚の儀式とは国民が祝う神聖なるもので、聖娼になることは名誉な事なんだ! しかし、現代の私たちは、結婚は皆で祝いますが性をそれ程前面には出しませんし、娼婦については正反対の受け止め方をします。

レムリアントランスミッションの「マーラ」の説明には、「マーラのスピリットが二人のマリアとして生まれてくる・・・マーラは母と妻、二人のマリアとして自らの魂を二分して三次元に生まれました。妻と母とは、言い方を変えれば、「癒し」のマリアと「愛」のマリア。母なる女神と、聖娼としての巫女、という二つの側面です。」とありますが、これには「なるほど」と思いました。 キリスト教では、マグダラのマリアは「悔い改めた娼婦」として有名ですが、どこかで読んだ通り、本当はイエス・キリストの妻であり、そして聖母マリアは、受胎告知によって、イエス・キリストを懐妊したのではなく人間の母として普通に妊娠したのだろう、と思っています。

そうすると、マグダラのマリアは、聖娼のような立場にあったのでしょうか? そうであってもなくても、人間の歴史はそのような事は隠さなければならなかったようです。 性が聖なるものとして、これだけ超肯定的に描かれているものには、初めて出会ったような気がします。「ハピ国民」なら、女性が(男性も)性についてこれ程悩んだりしないのでしょうね。特に体が変化していく思春期の青少年にとっては、成長することが素直な喜びとなり、福音(どうも、キリスト教的になっています)ではないでしょうか。 性=聖。今まで私にはなかった発想です。

 

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しばらく前にハピを読み終え、余韻から抜け出したかな〜と思ったところで、ガイアナを読み始めています。 (ああ、やっぱり、セイレンと***のシーンは号泣ですね(T_T))

私にとって一つ面白いことがあるのです。 初めて読んだとき、マルスのことを全くイメージできませんでした。 とっても麗しい方なのはわかるのですが、自分にとってはなんだか遠い感じの人、でした。 後でゼフィとわかり、ああ、だからなのか・・・人ではないような雰囲気に 遠い感じがしたのかな?となんとなく思っていたのです。 でも、2回目3回目と読むうちにマルスのことが近くに感じるようになったのです!

マルスの想いも感じることができるようになった気がするのです。 それによってセイレン、リーヴ、マルス達の愛というか波動に、より近づけたことが 嬉しかったし、ちょっとした驚きでもありました。 こんな風に自分の変化を感じることができるなんて、ありがたいな〜と思ってます。 次の小説もとっても楽しみです(*^_^*)

 

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一年前、「ハピの巫女姫」をよみ、普通に行けば、同じ作者の書物を読みあさるところ、ガイアナは関係ないと・・・。これが、周波数の違いなのでしょうか、1度目の白山姫アチューンメントが終わったあと急に気になりだしました。サンプルを読み、セイレンやトリの巫女姫の憂鬱?憂いがAmariさんの憂いと重なり・・・私は、まだまだ、この世界では赤ちゃんクラスですが、切望したレコンのシャーマンとして、少しでも出来ることをしたいと思うのです。 そして、このガイアナを紐解く時期が今だったようです。レコン・エヴオリューション・白山姫・・・と 一連のセッションの流れの中の一つのピースとしてガイアナがあります。

私の中に、常に不可解で飲み込めない感情がありました。それが、まさに“感情”がメインなのです。この3次元に暮らす私たちにとって手放したくても手放せず、この感情にふりまわされもまた、憎愛をはかり・・・しんどく、あさましくも純粋で熱いこの感情が私たち人間を形成している。この感情を手放すことがアセッション、神に近づくことなのか・・・?と飲み込めないものがありましたが、答えをこの中に見つけることができました。(しかし、まだまだ自身の中にペースト出来ている訳ではありません。)

私は、感情の生き物である人間が好きな魂なのです。そして、最高域の神界の意識でさえ人の感情を体感すべくトリシアとして人界に降臨されるという、この今までにない真逆の真実を知りました。 私の受ける感としてこの書は、物語としてでなく魂の歴史書、叙事詩のように読み進めていきました。登場人物の印象、素晴らしさは、皆さんが述べられている通りですし・・・物語としてとらえるならば、カヤトの転生が、魂のカラーとしてとてもよく現れているのではないかと思います。

そして、私がデジャブを感じてしまうのが、ハピのセイレンが訪れる中庭、城からパヒの城下を見下ろす景色。ガイアナのセレシアの女神の館の何棟かが両脇に立ち並ぶ景色、その小さな庭、庭の空気・・・人より風景? そういえば、一番最初のセッションのおりか、私のまわりに白鳥の気配があり、白鳥にご縁があるようですよ・・とお伝えいただきました。私は、やはり女神信仰を崇め、トリシアやセイレンのようなお方にお仕えしていた者かもしれないな・・・なんて思いをはせました。 感情に翻弄されながら、自らを受け止めていくすべての登場人物の魂の高さ高潔さに敬意をはらい、その全てを表現されるAmariさんの意識にも敬意をはらいたいです。ありがとうございます。

   

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ダイナミックな物語の展開に、読みながら時に息を切らしつつ、でもそれでも、運命の流れを受け入れ、気高く立ち振る舞おうとする登場人物に何とか付いていきたいと、追いかけるように読みきりました。

ハピよりも遥かに時代を下り、女神のもと精霊たちがそこここで踊り遊ぶような国。さらには神との人との間に、美しい半神の姫が産まれるほどに、両者が結びついていた時代。しかし同時に、神との繋がりを感じることさえできない人々が増え始めている時。 そんな崇高な神の世界の愛から、人間臭い男女の愛憎までが共存する世界。 登場人物が多いだけでなく、その波長も思いも実に様々。 物語の内容や展開の深さ・大きさだけでなく、それぞれ波長を大きく違えた存在が物語のなかで関わっていることが、より深い物語の層を産み出しているようで、読んでいて様々な、降り幅の大きい感情を経験しました。

崇高な神の世界と、人の世界。また人と人との間や、さらには神と呼ばれる物どうしの間にさえも存在する、その周波数の違いや落差。物語の前半は、常にその切なさを感じながら読み進めていた気がします。 すでに感情を超越してしまった神々の宇宙レベルの愛と、その愛の恵みに感謝しつつも、どうしても人としての感情の疼きに苦しんでしまう姿。また人同士でも、神同士でも、それぞれの自分なりの善を生きながら、波長の違いのなかでは互いに「わかり会えない」という切なさが深く心に残りました。

また一方では、 女神サラの愛もってすべてをまとめる神の慈愛の存在。あらゆるバランスを調律するために働く神の御技。 高い意識で同調する者どうしの、女性を女神と同じものとして尊びその愛に答えようとする男と、その男に女神の愛と癒しを惜しみ無く注ぐ女の結び付きの美しさ。性愛の聖なるちから。 …などなどうっとりするような場面もしばしばで、特に愛し合う男女や、神と人との間の会話がどれも美しくて素敵で、こんな会話ができる関係に憧れました。

そして、たくさんの登場人物ゆえに枝葉のような、それぞれの物語が存在します。話の流れに応じて、挟み込まれる出来事。それら枝葉の物語が、目まぐるしく場面展開するにもかかわらず、不思議と気持ち良く流れ、登場人物の多さにも戸惑うことはありませんでした。 後半にいくにつれ物語の流れはますます激流になりますが、すべての断片は取りこぼされることなく、むしろそれらの一つ一つは、実は大きな流れの大事な一部分で、縦糸であり横糸であるのだなと感じました。

それぞれの事象・営みが自然に繋がりあい、それらこそが大きな物語を動かす原動力であったのだと。 つまりは私たち一人一人の営みも同じような輝くべきものであることに気づき、「私も『私』であることを生ききろう」と思えてきました。

さらに、ハピにおいては、物語自体巫女姫中心の流れであったため、巫女姫を取り巻く愛の形の美しさが際立っていたように思います。しかし、ガイアナにおいては、主人公の巫女姫を中心とする神がかった愛のかたちの美しさはさることながら、それ以外の人々、神々の愛のかたちも沢山描かれ、その多くも実に美しく睦まじく、巫女姫のそれと同じかそれを凌駕するほどの輝きでした。

次元や時代をまたいだ、壮大な流れを紡ぐ長い物語でありながら、飽きさせることなくかつ余計なエピソードもない。 この物語を語る視点、それこそ人々を始め神や地球を取り巻くすべてを見守る、愛の存在の目線と同じなのかなと感じました。

気になったエピソードは沢山あるため中々絞れませんが、人で言うと、王の弟であるジムレイにとくに好感をもちました。ハピに出てくる過去生・その当時の彼よりも、転生してずっと素敵になったなあ、と(笑)また真面目で紳士的な姿や補佐役として優れている点は、はやはり過去の影響もあるのかな?とか。 あと、地上を舞台にし人々を巻き込んだ神々の争いや、神の神聖な領域、また遥かな次元を跨いだ旅…などなどの異次元の描写が、違和感なく心に入ってきて、ファンタジー的というよりは歴史的な感覚で読むことができたのが面白くもありました。

まさに大河ドラマを全編通して見終えたような、深い読後感を味わっています。 今は色んな通過儀礼を通ってきたかのような心境です。 普段の生活では中々実感、理解し得ない宇宙の理の姿。それを人の言葉で愛と共に感じさせてくれた物語のように思います。

 

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今まで保留?!にしてきたAmari さんの作品ですが、ブログでの無料掲載分を読み出したらいてもたってもおられずに、取り急ぎオーダーしてしまいました。 元々長い作品を読むのは好きだったのですが、ファンタジー分野にちょっと苦手意識があったのと、小説の場合は内容と同じくらいかそれ以上に、語り口や言葉の使い方がすごく気になるタチなので、ちょっと「立ち読み」して確認できない物は躊躇しておりました。 そこにようやく?!ブログ掲載され、漸く安心して申し込むことができました。

一巻の中程に差し掛かるまでには、言い回しがどうのという思いは忘れ、物語の流れにのって、ただただ突き進むように読み進んでいました。そして、私にはこの物語はもはやファンタジーとは思えませんでした。 私にとって居心地のよい、快適な神域…と言ってもいいような世界がそこにはありました。 美しい土地と美しい生き方。 そして現在のそれよりも美しくまた自然であると私には感じられる、男女のありよう。 セイレンと聖王、そして彼女を導いた運命の男の三人の関係は、羨ましい〜素敵!と素直に思えるものでした。人間ゆえの葛藤はそれなりにありつつも、互いにそれらを超越した、過不足のない愛の中で繋がっている。

またそのような愛に満ちた関係に鉈を振り落とすような、、女神を否定し荒ぶる他国の王に 『支配しようとなさるのではなく、救いを求めて下さい。女に向かう時...』 というセイレンの言葉に、私は心から頷きました。 女性があまりにも力を持っていたゆえに、時に脅かされ利用され、安心して素直に母なる女神の胸に抱かれることが出来なくなってしまった男性性の存在を気の毒に感じました。 ですからセイレンが、そのように強がり荒ぶって彼女を傷つける男すら受け入れて彼への愛を見いだし、怨むことをやめたことで、彼がおびえながらも変わりはじめたことを嬉しく見ていました。

さらに、親子の愛や人間同士の勢力争い、立場の違いなど現在と変わらない要素がそのままある世界なのに、人の営みの基本である男女の関わりかた・家族形態が違うとハピのようなこんなにも伸びやかな世界になるのかと改めて感じました。 「私も生き易そうな世界がここに!」と思いました(笑) そして何より、ドラマや小説に定番といってもいいくらい必ず出てくる裏切りやあらぬ誤解、復讐といった要素がでてこなかったこと、それらがこの物語に含まれていなかったことに気づき、自分が深く引き込まれた理由がわかった気がしました。

もちろん、憎しみや嫉妬、争いの種は有りますし、人々の命が奪われる悲しみはハピでも変わりません。 けれど、闇に関わるものたちですらある意味隠そうとせず悪役であり続け、自分に正直に、虚栄心ですら素直に表現しているようでした。本心を隠して人に合わせたり、相手に良く思われようと必要以上に自分を欺き飾り立てる人はいなかったように思います。 それが清々しさを感じさせる理由のひとつかもと感じました。 物語としての厚みや深さ、感情の揺らぎを損なうことなく、ひたすら美しい世界ばかりを旅できる喜び。 読み終えた今となっては、謎の秘密結社さえ愛しい思いがしますし、闇に消えたものたちすら浄化され、それぞれの役目を果たしたのだと感じます。(悪役も多いのに、読後もあいつだけは許せない!なんて存在が見当たらないのです。そういえば)

あと、物語の重要アイテムである「薔薇の香油」や「乳香」などの香りがどうにも欲しくなってしまい、リストアップするために読み進める手を何度も止めなければいけなくなりました(笑) 何もかもが美しく、震えるほどいとおしい、、そのような境地を垣間見せてくれる、自分のなかの女神の思いを表出させてくれる作品だと思います。 ガイアナがますます楽しみです(^^)

 

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物語の常で、作品世界に入っていくには少々の時間がかかるものの、初めは手探りでもその作品にどんどんと惹き込まれていく快感が「ハピ」にはありました。一巻の途中まではまさにその手探りの状態でしたが、セイレンが巫女姫としての暮らしを受け入れつつあるのと同時に、物語の面白さが加速していきました。 光あふれる国、ハピの地に私自身も立っているような錯覚さえ起こしてしまうほどに。 登場人物の多様さや各国の描写が物語に幅を与えたのはもちろんですが、わずかな伏線でさえもきちんと紡がれている点が読者としては納得できますし、安麻里さんの作品への愛情がよく表れていると思います。

読んでいて、やはり母系社会の方が平和な国になるのだな、としみじみ思いました。それは実際の歴史でも証明されていることですが、力で国を支配しようとすると、どうしても内側から崩壊していくものなのですね。父系社会の象徴としてのツルクのナスタトが、まさかの前世でのつながりや、昇華されきる前のセイレンとの交流がとても印象深いです。 マルスとリーヴとセイレンの関係は、今の社会では許されないことですが、これはやはり一夫一婦制の制度の社会での感覚だな、と物語中で何度も思いました。人はそれぞれに役割が違うので、その人が持つ包容力をその時々に求める事ができるのは、いいなあと思います。

マルスはずっと萩尾望都さんの「11人いる!」の王様のイメージが離れませんでした。最初から終わりまで、本当に風のようでした。アリストはアヤが帰還してから、どんどん感情が出てきて、好感度が上がって行きました。途中まで、とらえどころがないなあ、と思っていましたがセイレンに冷たいといわれて傷ついたと漏らしたくらいからあれ?と思い始めました。 マルス、リーヴ、アリストの三人は、お互いが支えあっていたのでしょうね。その絆を深めたのは、セイレンだと思います。

マルスの妻たちはそれぞれに違いましたが、みんな筋が通っていて強い点が、読んでいて気持ちがよかったです。タキは憧れですね〜。あんなふうに立ちまわれる頭の切れの良さがほしいです。 そして。セイレンの強さ、しなやかさ、すべてを包む愛は、女神の在り方そのものです。神に導かれるままに人生を選択してきたといっても、やはり本人の意思がなければどうにもなりません。セイレンにはその芯の強さがあったからこそ、最終的には新世界における役目をも引き受けられたのだと思います。 また、セイレンが血のつながりなど関係なく、小さい人を慈しむ姿は、読んでいてほほえましいものがありました。

作中、これはレイキかな?とか、もしかしてレムリアンクリスタルかな?と思われる部分が出てくるので、それはまた違う意味で楽しめました。石の描写が多いのも、安麻里さんならではでしょうか。 三冊読み終えるまで、特に一冊目は読み進めるのに時間が開いてしまった事がありましたが、途中からは気がつくとずっとハピの世界にいたような気がします。幻想でありながら、現実感もあるのがおもしろいですね。雄大な世界にしばし浸れる機会をくださり、ありがとうございました。

 


彼らは確かにそこにいた 〜『ハピの巫女姫』に寄せて 〜

永遠の魂を信じる(知っている)者にとって、文句なしに興味深く、また人類の来し方に想いを馳すことのできる美しい物語でした。ハードな内容といえると思うのですが、それをさらりと語る安麻里さんの紡ぐ文章がとても心地よく、どんどん物語に引き込まれてしまいました。 とはいえ、あまりにも1、2巻でのめり込み過ぎたため(笑)3巻に進むのに間が開いてしまいました。

だんだんと「面白い」という気持ち、感覚だけでは、読み進めなくなったのです。非常に読む私にも、パワーというかエネルギー というか、ある程度元気な状態が必要になっていたようです。これは私に限ってのこととは思いますが、情報量が多すぎて処理するのに時間が必要だったのかも知れません。 私が一番気になった人物…それは**です。意外な結末でしたね。でも納得でした。それと**も、はぁ〜こうなるわけね、と…。

細かい支流の糸、枝葉と思われたエピソード、人物たちが、最後には見事に本流へと戻り、大きな流れとなって流れ込んで来ました(もうこれは読んだ者にしか理解できないお話でしょう^^)。 挙げ始めるともう色々書きたくなってしまいますが、輪廻転生の不思議というか、緻密さにはびっくりですね。これはファンタジー…ということですが、実際こんな時代があったんだろう、と思わずにはいられません。それにきっと、誰もがこの宇宙の精密な世界に何度も何度も転生して、三次元で生きることによる喜び(この場合、苦難も「喜び」ですね^^)を享受してきたんだと思うと、人生って悪くない、と心から思います。

全編を貫く歴史絵巻のような壮大さ、、、その中にもそれぞれの心の揺らぎ、感受性の強さ、優しさ、無償の愛があり。。。いろんなところに感情移入が出来て、わかるわかる…って気持ちで、時には愛に包まれ、時には切なくなり。女神という存在のたおやかさ、強さを主人公のセイレンを通して感じていました。また、今までないがしろにされがちであった、女性の素晴らしさというんでしょうか、、、これからの統合の時代、それを認識することはとても重要なんだろうなぁ、と思いました。きっと、それぞれ認識するだけでいいのではないでしょうか?そうすることで発動するような…?

安麻里さんが今まで長年温めて書き綴ってこられた様々命題(といっていいでしょうか。)は、読み手にとっても様々な気付きをもたらしますね。今世、女性として生まれ、この時代を生きる私たちにとって、自らの中に眠る女神性に光を当てること…それこそが人生の喜びへと繋がるのかも知れません。それはきっと、あらゆる命の糧になるのでしょう。 セイレンたちの生きた時代、自分の意思だけでは生きられない、定めがはがゆくもあり切なくもあり…。そんな中でも、愛を以って生きるセイレンをはじめとする人々にとても感動しました。それに比べると今ってなんて自由なんでしょう。自由な中に愛があるなんて、素晴らしいことですよね。

それにしても! 安麻里さんの頭の中を覗いてみたい!! セイレンとマルスの関係の拠り所、リーヴやナスタトとの過去世からの繋がり…。それに最後の舞台は日本ですよね。物語としても単純に面白いです。でもやっぱり、このピースがカチッ、カチッとはまる感じは、スピリチュアルに興味が向いてる人にしかわからないかもしれません〜^^ セイレンと共に、一つの時代を生きたような、そんな心地よい疲労感を感じるほど、深く入ってしまいました。少し気持ちを休めてから、次に行きたいと思います(笑) ありがとうございました。

 


花青さんのエネルギーワーク&セッションがとても好きでお世話になってきた私は、「花青さん(安麻里さん)は、一体どんな小説を書かれるのだろう?」と単純に興味を持ち、この本を手に取りました。花青さんのセッションが好きであるにも関わらず、女神も超古代文明もどこか遠い無関係な存在に感じられて仕方なく、またそれらについての知識もなかった私は、「この小説を読んで、勉強させてもらおう」みたいな気持ちもありました。

そうしたら!お勉強どころの話ではなく、面白くて面白くて(笑)。最初は、描きだされる「ハピ」という国の美しさにゆったりと気持ちよく浸っていましたが、グングン加速度を増して繰り広げられる人間達のドラマに引き込まれて、先へ先へと夢中で読んでしまいました。抽象的な、優しい光のような物語を予想していたのですけど、1つの大陸が終焉する時代を生きた人々の心臓の鼓動が、慟哭の叫びが聞こえてきそうな熱い人間物語に心揺さぶられて、時に涙し、読み終えた時は、登場人物達と一緒に激動のドラマを体験し終えたような、心地よい疲労感すら感じながら、「あ〜、面白かった!!」と妙に清々しく本を閉じたのでした(「この後、世界がどうなるのか知りた〜い!」という思いは、『ガイアナ神謡集』へ向かいます:笑)。

私はこの小説を読むことによって初めて、女神という存在と本当に出会うことができたような気がします。誰かと一緒に過ごす時間の中で、魔法のように起こった何かによって心の垣根が消え、お互いのピュアな部分で交流する瞬間が訪れることがあります。そんな時というのは、自分やその相手を彩る社会的な装飾や性格、感情や思考さえ消えて、魂が手を繋いでいるような心地になります。「ハピの巫女姫」を読んで、私は女神という存在に、そんな風に触れることができたような気がするのです。そして芽生えた(取り戻した?)のは、女神への純粋な憧れでした。

何故こんなことが起こったのだろう?とずっと考えていました。女神に対してどこか斜に構えていた気持ちが溶解して完全に消え去ったのは、セイレンとナスタトのエピソードを読み終えた時だったかもしれません。まぎれもない人間の女性であるセイレンの、感情をもつ人間であるが故に自らが置かれた状況に苦悩する女性の中に現れた女神性の愛。セイレンの心象風景の変遷とナスタトの変化。地上の2人の人間によって表現された女神の愛を読んだ時に、胸につっかえていた何かが消えていきました。私もセイレンを通して、女神の秘儀を受けたのかもしれません(笑)。 物語が発する熱によって、私の中の色々な限界が熔けていきました。

全3巻を読み終えた時、恋愛、性、女神、女性性ということについて自分が全く新しい境地に向かい始めたことを感じました。そして心の中に湧き上がってきたのは、「巫女のように生きたい」という思いです。 「巫女」といっても、サイキック能力を追求とか、儀式とかパワースポット巡りというような意味ではなくて、空の星々や自然、そして地球と調和して、それを感じながら、日々生きていきたいと。それもこの、現代文明の雑音が鳴り響くなかでそれに乱されることなく、また同時に現代を拒絶することもなく、清らかな自然の中にあるのと同じように都会の雑音の中にあっても大いなる宇宙のリズムを見失うことなく、自己の真実を生きていくことができたらと思ったのです。「ハピの巫女姫」体験は、私をそんな壮大な夢へと導いてくれました。素晴らしい出会いでした。ありがとうございます。

 


ハピを読み終えたときとは全く違う、独特で濃厚な感覚に包まれています。読み進めている間も、なんというか静かな、淡々としたでもとても力強いエネルギーに包まれていたように思います。ひとつひとつのエピソードに感情が揺さぶられることも、ハピと比べると淡い感覚。。これはやっぱり作品の周波数からなのかな・・?(もちろん面白さやストーリーへの引き込まれ具合は同じなのですが) 全体を彩る、薔薇色がかった淡い金色が、今も目の前に広がるようです。。

一つ一つの情景をくっきりとイメージすることを自分に課しながら、丁寧に丁寧に読んでいくのが、ほんとに楽しかった。ストーリーを早く読み進めたいよ〜(笑)という心に少し黙っていてもらって、登場人物の瞳の色や、表情、たたずまい、建物の雰囲気、町や森の情景、神々の世界・・・それらがとても愛おしく、読み終えるのがもったいなくてもったいなくて。きっとまた、何度も何度も読み返してしまいそうです。

登場人物もトリシア、レオダイをはじめ、すてきな人ばかりで、前作からも思い入れも働いて、この人!とは決められない(笑)。。けど・・今回はなぜか、名前を知っただけで好きになる人物が何人かいました。ウルムト、セレシア、カリュプトラ、人ではないけどスシュ、などなど。。名は体を表す、というけれど、どの人物もその人物像と名前がぴったりすぎる!それもこの作品の魅力の一つだなぁと感じました。

エピソードでは、アルゴが***に変容し、レオダイと***、*****する、というところが好きで印象的でした。女神の御技とはこのようなものなのだなぁ〜、素晴らしいなぁと。女神サラの存在は、ずっと読み進めている私にも支えになってくれてました。レオダイが絵を描き始める場面では、もう、しばらく読み進めることもできないくらいに、ああ〜絵が描きたい〜と悶絶してしまいました(笑)。

素敵な人物が多い中で、現代の始まりを思わせるような利己的な考えの人物たちへは、クロエやジムレイのように、悔しく歯がゆい思いを何度も味わいました。でも、それさえも静かに愛する神々の視点に、ただただ心洗われて静かになってゆく・・・。諦めや絶望ではない境地を知らされる・・・。 前作では、本当にエネルギーワークのように作用してくれた、と感想に書きましたが、この「ガイアナ神謡集」も、間違いなく、そうでした。

個人的な話になりますが、前年後半から、苦しい、苦しい、目覚めの試練の中にいました。自分が間違っていたことを認めなくてはならず、人のせいにしてしまってことも、頭でわかったつもりになっていたことも認めなくてはならず、恥ずかしさに打ちのめされました。たくさんの物や、大切に思っていたのに苦しめていたかもしれない人たち、しがみついていたことにも気がつかなかったようなこと、ともさよならしました。 その間ずっと、その作品や著書で励まし、慰め、導いて下さった方々が、今思えば3人いらっしゃるのですが、その中の一人が安麻里さんです。

安麻里さんの作品は優雅にふわりと優しく、でもパワフルに揺るぎ無く導いてくれる。魂の、生命の輝きを思い出させてくれる・・。(実はこのガイアナを読み終えた直後には、その3人の中の一人であるミュージシャンの方と実際にお会いできました。金色に輝くオーラの歌声に包まれて、さらに言葉を交わすこともできたこと、女神の導きに感謝です^^)すばらしい作品とご縁を頂けたことに、感謝します。ありがとうございます。

 


全体的な印象として、行間から常に“香り(匂い)”がたちのぼっているように感じました。庭に咲き乱れる花の香り、薔薇の香り、たきしめられる香の香り、乳茶の香り、深い森の匂い、土の匂い、汗の匂い、etc.…。 途中まではセイレンがあまりにも淡々と運命に従っているように感じ、いくら巫女とは言え、もう少し感情をあらわにすることはないのかしらと思っていましたが、そのうち、従うというよりは逆らわず判断せずに受け入れて、その中で自分がとるべき最善の道を進むという、ある意味能動的な行動といえるのかと思いました。

恋をしたくなりました。 一方で、今生ではおそらくもう女神の器を使うことなく、新しい命を生み出すことのない自分を、残念に思いました。もう少し若い時期にこの小説と出会えていたら、自分の女性性を表現することへの躊躇がなくなっていたかもしれません。(…というのは、大げさでしょうか?) 登場人物の中では、セイレンやリーヴは当然素敵ですが、イシののびやかな明るいすっきりとした存在感(←自分がそうありたい)、タキの強さ逞しさ(←自分に足りないもの)に惹かれます。**も好きな登場人物なのですが、まさか***とは!終盤でそれが明らかになる場面には、本当にびっくりしました。 セイレンのDNAが、太古の祖先として私のDNAの中にも受け継がれていたりして ・・などと想像すると、素敵な気持ちになりますね。

   


安麻里さんの作品はすべて、魂の故郷へ帰っていくような心地よさと、私の内部を刺激し、挑発するような感覚を同時にもたらしてくれる。波瀾万丈のストーリーの裏には、厳密な「ウツ(宇宙)」の法則…冷徹なまでに完璧な、愛と調和の法則が流れている。 魅力的なキャラクター達は、非情に思える運命の波に翻弄されるように見えても、決して人生をあきらめない。

遥か古代の神秘をあらわす時代、神々と交感できた美しい時代。彼らは人として悩み、苦しみながらも人生の歓喜を味わいつくそうと懸命に生きる。やがて時が来ると静かに自分の使命を受け入れ、そこで精一杯の花を咲かせようとするのだ。 そんな彼らのひたむきな姿には、時代を超えて私たちの心を打つ普遍性がある。そこには宇宙のひとかけらである、微小かつ壮大な人間という存在への敬意、切なく美しい愛がある。そしてそれを感じられるからこそ、彼女の作品は私たちの魂に響く深い感動を与えるのだろう。

封印してきた記憶のカプセルが、静かに開かれるとき。 それは決定的な瞬間だ。魂の夜明けだ。 おかえり、おかえり。私たちはずっとこの時を待っていたんだよ… 私たちは、彼女の作品から教訓を敢えて追い求めようとしなくてもいい。 ただ華麗なストーリーを楽しみ、味わうだけでいい。 読み進むうちに、私たちの内部にひっそりと存在する、太古からの秘密の小箱…それを開けるような「何か」が動く。静かに、しかし確実にそれは動き、共振する。私たちは、その感覚をただ受け取り、安心して身を委ねるだけでいいのだ。

 


何カ月か前に購入していたハピの巫女姫を、何故かしばらくは本棚にあったのですが、(実は、買ったけどまさか私、読まないのでは・・とさえ思っていたのですが)クリスマスを前に急に読み始め、そのあとは一気に読み進めました。 いや〜おもしろかったです! ほんと、日本人女性の中にある神聖さと清らかさを体現したようなセイレンには、透明さに憧れつつ、ずっとなんだか寄り添うように読み進めていましたし、一番好きだった登場人物の**が!・・・と展開にも度肝をぬかれて、純粋に楽しめました。

しばらくは本棚にあった理由も、内容と私の心象を照らし合わせて唸るような部分もあって、ああ、準備だったのだなぁ、なんて思ったり。ほんと、エネルギーワークのような作用がありますね。 クリスマスには鞄に3巻を入れて、娘と関東方面へ出かけたのですが、気分の赴くまま出かけた水族館では大きな白蛇さんに出会って、ああ!なんて思わず反射的に手を合わせていました(笑)。 女性としての性をあらためて思う・・・こともできました。 私自身が愛する人から性的な暴力を受けていた時期もあり、そんなときにフェミニズムや心理学に救いを求めたこともありました。そこから導かれるようにスピリチュアルへ移行してきた私なので、性は大きなテーマでもあったのです。

性は一般に弄ばれ歪められた側面だけではない、神聖な部分があると確信していましたが(力があるだけに歪められていったのでしょうが)、この物語でさらに肯定的にそう感じることができました。 また、このような壮大な物語が、花青さんの中でどのように出来ていくのか、構築されていく様子を知りたいなぁと純粋に思いました。登場人物それぞれが神と自分の真実に沿って生きている、わたしにとっては本当にリアルな世界でした。

日々、自分に正直に生きてゆくにつれて、道はいかようにも拓けていくことを信じています。でも痛みは必ず伴う・・。そんな私に女神からのプレゼントのような3冊でした。本棚にあった数か月の間は、何をするにもどうしようもなく虚しさを感じるほど別の何か(それはたぶんハピの中にでてくる幽世のようなもの)に強くひきつけられていて、でもその空しさはまぎれもなく私の真実の一部で、それが自分の一部として受け入れられるまで、女神は待っていてくれたのだと思います。 自分にとって真実を受け入れ、ともなう痛みをただ引き受けていたとき、それでもまた生と性を希求し、ただ静かに創造してゆく勇気をもらった気がします。勇気というよりは本能とか衝動とかに近いかも・・。エネルギーなんですね、抗えない。

 


「ハピの巫女姫」が自宅に届くとすぐ読み始め、長編3冊を連休を利用して一気に読んでしまいました。この小説を読もうと思ったきっかけは・・・詳細に書いてありました「巫女姫」、「女神」、「女性性」のキーワードが気になったからです。「巫女姫」ってどんなお姫様?て思ったのと、今世の私のテーマでもあります「女性性」の学びのヒントにもなるのではないかと思ったからです。スピリチュアルな事が大好きな私ですが、今回はその点ではなく、「読んでみよう」「読まなくては・・」という心の声に促されて読み始めた感じです。 読み始めから物語の中にすーっと引き込まれ、時間を忘れて読むことに没頭しました。気がつくと、主人公と自分が重なりあうのではなくて、そばで見ている、あるいは物語の中で自分も参加しているような感覚でした。

悲しくなったり、楽しくなったり。 特に涙が出るほど感動した部分は、******* です。自分の情を捨てて使命をまっとうしようとしたセイレンの意志の強さに感動しました。共感して涙がでてきましたが、よくよく考えてみると、セイレンはその使命感の源にあるのは「女性性」から出る’守り’であり、私の場合は「男性性」からでる「攻め」の使命感ではないかと感じました。ちょっとうまく言葉にできませんが・・・「使命感」といっても源が違うような・・・私は、過去に男性の戦士としてこのような経験をした気がします。でもなぜかセイレンの気持ちが感覚的に分かってしまい、涙が溢れ出てきました。

もう1ヶ所涙が出たところは、******* です。自分に課せられた役目、宿命に逆らわず受け入れる強さとやさしさ。ここでも、感情を抑えて使命を果たそうとしているセイレンに共感して涙が出てしまいました。  意外でびっくりした所は、******* です。驚いたと同時に「面白い!!」と思いました。「それからどうなるの−」って今後の展開も楽しみになってきました。本当にこの場面は意外でした^^ 過去世に意識が飛んで、アリアドだったセイレン、ラフムだったリーヴ、ハピ王だったナスタトそしてゼフィーだったマルス。過去の因縁としてもう一つの場面でかかわった4人。この展開は、物語の広がりというよりさらに深みが増し、複雑な絡みがあるけれどシンプルみたいな感覚で、おもしろかったです。

「マルスは誰?」と読んでいくうち、早く過去世でのマルスを知りたくなりましたが、******* と知って、納得。・・・とてもすてきな話でした。 そして最終場面での東の見知らぬ島で、*******  ここで、何故か初めて巫女姫としての大変さを感じたのでした。いわゆる女神の化身としての聖娼の仕事が・・・思いやりと感謝の気持ちで位下の者と交わり、女神のエネルギーで癒す仕事。不思議と人質としてナスタトの意のままに扱われていた時は感じなかったのに、この場面で「大変だな〜私にはできない!!」って感じました。

今世は「女性性」が私のテーマなので、いつも意識して生きています。結婚して19年間、妻と母親の立場で家を守り、仕事はソウルメイトの片腕として会社を支え、、趣味のバレーボールではディフェンスのレシーバをやらされ・・・考えてみると全て「守り」の部分を受け持っています。本当は「攻め」の男性性のエネルギーが心地よく感じられ、「待つ」「守る」の女性エネルギーは苦手です。今までは「出して」から「受ける」行動をとってきた私ですが、最近になって「受けて」から「出す」姿勢も必要だと気づき、意識して「受身」「守り」の立場をとろうとしています。

そんな時、この物語に出会いました。 セイレンは女神の代人「女性性」そのものです。私の学ぶべき究極の姿です。私だったら・・・と時々自分に質問しながら読んでいましたが、とてもまねできない行動、姿勢ばかりでした。ハピの巫女姫を読み終わって、私の中でセイレンが生き続け、自然に女性性が滲み出てくるようになればいいなと思っています。


以下の二つのレビューは「まぐまぐプレミアム」での配信が終わった2006年夏当時、頂いたものです。
(当時の Amari の名前は「花青(はなお)」でした)


まずこの2つの小説を読んで、私自身の印象で「石」に例えるなら「ハピの巫女姫」はラリマーで、「ガイアナ神謡集」はスギライトといったとこ ろでしょうか。本当にこの2つはその作品の持つカラー、雰囲気が全然違いますし、一緒の感想文としてまとめてしまうのはどうかと思ったのですが、何となく私の中では分かち難いものでしたので、ちょっと無茶をして一括りとしてしまいました。

この2つの小説の連載期間中は、共に長い旅をしてきたような感じです。どちらも母系社会という、現代では考えられない社会システムの中、ハピでは、セイレンという一人の女性を柱として、そしてガイアナではレオダイ(ガイアナ王)とトリシア(ガイアナ神殿の巫女姫)という二柱を軸として、物語が展開してゆきます。そしてこの2つの世界には、とても身近に「神」が顕在しています。読んでいて思ったのは、この母系社会がより自然なんだと感じられたことです。

もともと世界にはこれだけ男性も女性も存在しているのに、結婚という形で結ばれるのはたった1人のみというのは、無理があるのでは・・と思っていました。(私自身は多感というわけではないのですが・笑) でもこういう大らかな社会は、かつて確かに存在していたと思うのです。そしてここで描かれている母系社会を抵抗無く受入れ、懐かしんでいる私が居ました。物語はそれぞれとてもドラマティックで、、週1の連載でしたが、次の週がとても待ち遠しかったです。ハピは、ハナオさんも仰っていましたが、巫女姫セイレンの17才から物語が終わるまで(31才)の生き方を描いた大河小説です。

セイレンは巫女たちの長である巫女姫として成長を続けながら、国や、果ては世界を導いてゆきます。 神に一番近いとはいえ、まぎれもなく人間の一女性ですから、様々な感情を持ち、また色々な試練も乗り越えてゆかなければなりません。連載中はそんなセイレンに感情移入し、本当に一緒に泣き、笑ったりしていました。それに対してガイアナは、同じく巫女姫としてトリシアが登場しますが、彼女は半神という生い立ちと、その魂の根源からも、ある程度はヒトを超越した存在として描かれています。


彼女と相思相愛の主人公レオダイにしても、肉体的には人間ですが、魂はさる神の分魂、そしてハピのセイレンもここでは女神として登場したりと全体的に次元が上がっていて、より宇宙的です。 ですので、感情移入するというレベルではなく、壮大な話にワクワクしながらも大きなエネルギーの中に身を委ねていた感じです。実際この小説を書かれることで、ハナオさんのエネルギーも高くなったのではないでしょうか。さて、そんなスペースファンタジアなガイアナですが、読んでいて嬉しかったのは、ハピの懐かしい面々がガイアナで転生していること。ここでの「再会」に喜びつつ、改めてその繋がりに驚嘆したりと本当に楽しむことができました。

私はハピの後半から購読し始めましたので、実質2年余りほどお付き合いさせていただきました。毎週土曜日は配信日でしたので、先日ついに連載終了日を迎えた日は非常に寂しく、何か心にポッカリ穴が(笑)。でもガイアナの続編なども、ハナオさんが密かに(?)書き綴られているようですし、また新たな機会に彼らに再び出逢えるのを楽しみにしています。

 


花青さんが綴られる言葉を読むと何故だか泣きたくなります。 わたしが日常の生活でなおざりにしてしまっている、誰かに恋をしたり愛おしく思う気持ちが息を吹き返すようです。わたしの心の中には、花青さんが書かれる理想郷(私にとってはそうなのです)に似たものがあります。 「美しい人々が愛に生きている。」 シンプルに言ってしまえば、そんな世界です。

わたしは、映画や物語に触れることを極力避けています。何故なら、その多くには暴力や欲望が描かれすぎていて、それを目にすると疲れを覚えてしまうからです。 花青さんの世界にはそんな粗野なものの欠片もなく、わたしの中の純粋な部分を解放させて遊ばせてあげることができます。それでいて、花青さんの描かれる美しい世界は読んでいてつらいのです。自分が、その世界に生きていないことがつらくなるのです。 「わたしもこの世界で生きていきたい。」などと、地に足が着かない夢でいっぱいになってしまうのです。

もしかして、そんな美しい世界にいたことがわたしにもあったかもしれません。だからあんなにも恋しくて苦しいのかもしれません。 花青さんの描く世界はわたしの欲しいものばかりがつまっていて、読んでいくことで、わたしはこの3次元で生きていけなくなりそうなのです。彼女の作品を読むことは、魂がバカンスに出かけるようなものです。

 
 
ご感想をお寄せくださった皆様、ありがとうございます。

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